大滝ファームのブログ

2021年2月26日

東北旅行② 慰霊の日

旅行二日目、仙台のホテルを出発して青葉城跡を見学してから松島を通り石巻市に向かいました。市街地を抜けて川幅の広い北上川沿いを東に進みました。広い芦原の中に柳が点在する北上川の岸辺は人工物も少なくゆったりと流れていました。そしてその先に大川小学校の廃墟がありました。生徒74名、先生10名が津波に飲み込まれた廃墟は伝承館として整備されるようです。献花台があり花を供えてきましたが、現場に行ってみるとあらためて『なぜ?』という気持ちがわいてきます。グランドのすぐ近くにシイタケ栽培の学習で登っていたなだらかな山がありそこに行っていればと思わずにはいられません。まさか二階建て校舎の屋根まで届く津波だとは思わなかったのでしょうが、地震発生から津波が来るまでの50分間グランドに整列して待機していたというのですから親にしてみれば絶叫する以外どんな言葉でも言い表せない苦しさ悔しさでしょう。三陸地方には過去に幾度も大津波が押し寄せています、その言い伝えが残っていなかったのでしょうか?岩手県の宮古市の姉吉地区に『ここより下に家を建てるな』と書かれた石碑があるそうです、3.11の津波でも多くの家が流された宮古市でこの集落は一軒の被害もなかったそうです、その碑文を載せてみたいと思います。

【高き住居は児孫の和楽/想え惨禍の大津浪/此処より下に家を建てるな/明治二十九年にも、昭和八年にも津浪は此処まで来て/部落は全滅し、生存者僅かに前に二人後に四人のみ/幾歳経るとも要心あれ 】

このような碑文が各地にあれば多くの命が助かったことと思われます。

次に向かったのは気仙沼と陸前高田です。気仙沼で1,000人以上、陸前高田では2000人以上の死者行方不明者を出しています。陸前高田に着いたのは夕方近くになってからでした、津波の伝承館と奇跡の一本松を見てきました。工事中の巨大な防潮堤の内側に奇跡の一本松が一本だけで立っていました。伝承館では信じられないような映像と遺物を見て言葉をなくしました。伝承館と新しい道の駅が破壊されたかつての道の駅の建物と同じ高さと並びに作られていました、巨大な防潮堤の内側とはいえ大丈夫なのでしょうか?  津波から10年、三陸沿岸はどこでも重機が動いて工事を続けています、防潮堤はかなりの部分出来上がっていますが内側はまだ更地のままの所が多くみられます。それでも放射能汚染地域と違っていつか必ず復興することができる事でしょう。何十年後か何百年後かにまた必ずやってくる巨大津波に備えて十年前の津波被害を風化させてはいけません。 その日は暗くなってから釜石に到着しました。

 

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                 大川小学校

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   対岸から見た大川小学校              北上川の河口方面

 

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                                               気仙沼

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                 陸前高田